遠き国や海の果て
いずこにすむ民も見よ
なぐさめもてかわらざる
主の十字架は輝けり
(折り返し)
なぐさめもてながために
なぐさめもてわがために
揺れ動く地に立ちて
なお十字架は輝けリ
水はあふれ火は燃えて
死は手ひろげ待つ間にも
なぐさめもて変わらざる
主の十字架は輝けリ
※折り返し
仰ぎ見ればなど恐れん
憂いあらず罪も消ゆ
なぐさめもてかわらざる
主の十字架は輝けリ
※折り返し
「とおきくにや」聖歌397番
"There's a light on the cross"
Lyrics & Music J.V.Martin,1923
Arranged by KS 12/03/11
地の果てなるもろもろの人よ、
わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。
わたしは神であって、ほかに神はないからだ。
イザヤ書45章 22節
J.V.マーティンは自作の手書きの原稿をわたしながら次のように語った。「東京大震災の9月1日(1923年)の夜、
多くの罹災者が芝白金の明治学院の運動場で夜をむかえました。九死に一生を得た人々に蚊やとろうそくが
支給されました。その夜、たまたま東京にいた私は明治学院に見舞いに来たところ、蚊やの中で点火されたろうそく
の火が丁度、暗の中の十字架に見えたのです。私はさっそくペンをとりこの詩を書きあげ、その後大阪に帰って
この曲をつけました」と。その後中田羽後の訳でロードヒーバーが横浜のYMCAで歌ったのが世界の初演であった。
作者マーティンは大阪市立高等商業学校(今の市立大学)の英語講師で大阪に在住していた。
(聖歌の友社 聖歌撰の解説より転載)
172.こんばんは 名前:管理人 日付:1月2日(月) 1時22分
昨年は東日本大震災と福島原発事故のため、大勢の方が今も恐れと不安の中に
過ごされていることと思います。被災地の街や村が一日も早く復興し皆様がもとの
生活に戻ることができますようにお祈りしています。
昨年の5月からこちらのサイトで福島第一聖書バプテスト教会の佐藤彰牧師の
「私たちはよみがえります」と題したお話の動画をご紹介しています。
その後佐藤先生が出版されました「流浪の教会」(いのちのことば社)を読みまして、
その不思議なお話にとても驚き感動しました。
その本は「それは3月11日、私の誕生日から始まりました。」で始まりますが、
3章の「証言」で佐藤先生の奥様の不思議なお話がありました。
「私は、20年前からよく同じ夢を見ていました。教会の方たちと各地を転々とバスで旅をしながら、
合宿のようなことをしている夢です。何度も何度も見るので、日記に書いたほどです。夫は、
「教会というのは共に人生の旅を歩むようなものだから、それを象徴的に見たんだろう」と言って
ました。」とあります。先生たちは震災後、まさに夢で見ていた通り、福島から、会津、米沢、
そして奥多摩と各地を教会員の方々とバスに乗って旅をされました。
佐藤先生は上記動画の中で、「私はこのときの為に遣わされたのだ」と述べておられますが、
この度の震災と原発事故も神様は予めすべてご存知であり、そしてそれを許されて起きたことが
改めて示された思いでした。この世で神様の許しなしに起きることは何一つありません。 (マタイ10:29)  
今回の原発事故による深刻な汚染は、最も汚染された地域でチェルノブイリ事故時の実に10倍の
3000万ベクレルと言われます。そして首都圏の汚染状態も非常に深刻で、今後の健康被害が
懸念されますが、それらも神様がすべてご存知でありますから、これからも私はただ日々生かされて
いることだけを感謝しつつ、また日々生かしてくださる神様を賛美しつつ、神様の御手にすべて
委ねて行けましたらと思います。
この度の震災と原発事故の影響は今後恐らく何十年もこの国を覆うことになるかもしれませんが、
上記のことから神様はすべてをご存知であり、罪深い世に一つのご計画があったのだと思います。
「とおきくにや」聖歌397番